松原岩五郎

生活は一大疑問なり、尊きは王公より下乞食に至るまで、如何にして金銭を得、如何にして食を需め、如何にして楽み、如何にして悲み、楽は如何、苦は如何、何に依ってか希望、何に仍てか絶望。是の篇記する處、専らに記者が最暗黒裏生活の実験談にして、慈神に見捨られて貧兒となりし朝、日光の温袍を避けて暗黒寒飢の窟に入りし夕。彼れ暗黒に入り彼れ貧兒と伍し、其間に居て生命を維ぐ事五百有餘日、職業を改むるもの三十回、寓目千緒遭遇百端、凡そ貧天地の生涯を収めて我が記憶の裡にあらむかと。聊か信ずる所を記して世の仁人に愬ふる所あらんとす。 時正に豊稔、百穀登らざるなく、しかるに米価荐りに沸騰して細民咸飢に泣き、諸方に餓死の声さえ起るに、一方の世界には無名の宴会日夕に催うされて歓娯の声八方に涌き、万歳の唱呼は都門に充てり。昨日までは平凡のものと思いし社会も、ここに至って忽然奇巧の物となり、手を挙ぐれば雲涌き、足を投ずれば波湧くの世界、いずくんぞ独り読書稽古の業に耽るべけんやと。すなわち大事は他に秘し、独り自から暗黒界裡の光明線たるを期し、細民生活の真状を筆端に掬ばんと約して羈心に鞭ち飄然と身を最下層の飢寒の窟に投じぬ。